はじめまして、鬼瓦職人の鬼義(塚越久義)といいます。
さて疑問に思う人もいると思いますが、なぜ鬼瓦職人になったのか。
答えは単純に人がやってない仕事がやりたかった。
ただそれだけの理由でこんな大変な道に入ってしっまたことに今さらながら驚きをかくせません。
よく図工とかが得意だったの?と聞かれますが絵も含めて全く得意ではありません。
同じ事をひたすら続ける努力だけだと思います。
私がこの業界に入ったころすでに関東地方の瓦産業は衰退を始めていました。
私の始まりは23歳のころ埼玉県主催の伝統工芸育成事業に5年間参加し、月2回しかない授業で親方からそれだけでは職人になれるわけないということで、毎日通い弟子入りし卒業するころには埼玉瓦組合連合会は解散。
我が深谷市は瓦の産地で全国3位の出荷量をほこっていました。
100社以上あった瓦屋さんは現在瓦製造1社他は瓦工事業になっています。
関東では瓦製造は数件、窯元がなければ鬼瓦も使われることもなく他産地の瓦が使用されているのが現状です。
現在お寺や神社の需要も減少傾向にあり、すべての工程が手作りな私どもが価格競争に勝てるわけもなくどんどん安いところへいっています。(手作りでも単価は下がっています)
私が習った鬼瓦は立川流の大工彫刻を鬼瓦に取り入れた流派です。
本来は波、菊、葉、雲などの装飾が主流ですがやはり鬼の顔の方がインパクトがあり鬼を作ってばかりです。
これまで23歳からこの道に入り39歳の時に埼玉県の伝統工芸士に認定されました。
鬼義の名は鬼と自分の名前である義の一字を取り親方から頂きました。
現在40代半ばになり今後の活動は屋根の鬼瓦も制作し、置物や飾り瓦、小物の鬼瓦を売ることもそうですが、鬼瓦教室を開催し指を使って脳を活性化するべくヘラを使った家紋を彫る、表札を彫る、鬼を作って頂くなどの身近に感じる活動にシフトしていこうと思っています。